2013年03月18日

ゆるふわカーブ()のモテカワスリム()

早くも一ヶ月放置です、ハイ。


いやさ、なんつうの?アレよアレ。男ってさあ、いちいちウダウダおべんちゃら並べ立ててるよりもさあ、こう、黙ってるほうがカッコイイっつうかあ、ゴルゴとか思い浮かべりゃわかんじゃんよー。じゃんよー。じゃんよー。


以前、今年こそは韋駄天で一位取りたいですみたいなことも書いたりしましたが、有言実行っていうのは自らにプレッシャーをかけ無理くり実現させることで、あまり健全ではないんじゃないかって思うわけです。

会社組織にしたってそう。今はなき某派遣会社の内勤バイトなんてことも昔やってたことがありますが、典型的な叩き上げのベンチャー企業でした。「マインド宣言」なるものがあり、「俺は新規顧客を今月何件必ず取ってきます!」「私の支店は来月売上一千万円を必ず達成させます!」と半ば無理矢理言わせる。そして上の人間は「じゃあ言った以上は絶対やれよ」というだけでいい。無理矢理有言実行させようと圧力をかけ、社員たちがヒイヒイ言う社風。そしてその自分に課したノルマを運よく達成できたとして、手に入るのは心の平安ではなく、もっとリミットの上がったノルマ。圧力をかけてくる統括部メンバーにしても、さらに上の者からかけられる圧力は半端じゃない。その結果、確かに急成長はできるのですが・・・まー長続きはしませんね。



カッコよくて立派なの不言実行する人なんじゃないですかね。

例えば、家庭のお父さん。あまり立派でないお父さんはぺちゃくちゃ喋ってばかりで、「おいおいみんなどうするどうする?いまはちょうど昼時でレストランはお客が殺到、大行列になってるぞ。並んでいたらせっかくこうして家族うち揃って行楽に出かけてきたのに遊ぶ時間が無くなる。オレはそこいらでパンでも買って来ようと思うけど母さんはどう思う?みんなは?」とうるさいことこの上なく、やっとパンを買いに行ったと思いきや頭を掻きつつ手ぶらで戻り、「売り切れだったよー、やっぱり行列に並ぼう」などと言うが、立派なお父さんはそんなことはない。何も言わない何も聞かないで不言実行。黙って握り飯とシューアイスを買ってきて「ほら」などと言葉少なに家族に手渡す。

ただし問題なのは、みんなはそんなものはまったく食べたくなく、並んでもいいからレストランで食事をしたいと思っているということで、不言実行というのは場合によってはみんなに迷惑がかかる。

ほどほどが、一番です.+(´^ω^`)+.



黙って期待以上の結果を残せればかっこいいじゃない?

もうホントこれに尽きると思うのですが、世にはびこる「有限実行強制系」の会社が根絶せずにあり続けるってのは結局、学生時代にロクにバイト経験とかもなく、仕事、責任というものの何たるかをいまいちわかっていない、要領の悪い人たちがあまりにも多いからなんでしょうね。努力目標を掲げさせ、それを無理くり実現させる・・という定型があれば頑張りやすいし。

ただ、下限に合わせなければならないシステムというのは、やっぱり組織的に不健康です。「何でそんなヌルい内規があるんだ!」ってなって、フラスト溜まる分、余計に。


――やたらと甘やかす親がいるから、使えない人間が出来るんだ。男女ともに、親からの支給が多い人は何やらせても駄目だ。

なんてことを知人が一昔前に言ってました。そうでしょうか。そうかと思いきや、児童虐待が社会問題になってたりもする。世の中の親がダメ?残念ながらそんなこと言えるほど、上から目線できる人間でもありませよ、ぼかぁ。そもそも子供はおろか未婚ですからね。早く結婚して立派に育て上げた子供を見せてみろって言われれば、それまでです。


ちなみに先の某派遣会社の悪名は今も記憶に残っている方もいらっしゃることと思いますが、売上にかける執念については認められてもいい。

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努力が大切だということは誰でも分かるが、努力というのは、ただやり続けていては意味がない。

井戸を掘らなくてはならなくないのに、掘っても掘っても水が出ない。
「ずっと掘っているのに、どうして水が出ないんだ」
「こんなに掘った、こんなにも」
と、掘った土の量を自慢されても、どうしようもない。
「これだけの土を掘ったのだから、水をくれ」
と言われても、水が出てこないのだからしょうがない。

肝心なのは、どれだけの量の土を掘ったのかではなく、水を掘り当てるためにどう考えたか、である。もっとこっち側をほったほうがいいのではないか、こういう機械で掘ったほうが早いのではないか、もう少しこちら側も掘ってみたほうがいいのではないか、といろいろ考えながら、掘り当てる。

どれだけの量の土を掘り起こしたかよりも、どう考えて水にたどり着いたかのほうが大切だ。

つまり、単なる努力ではなく、「考えながら努力する」ほうが重要なのだ。それが分からないまま、「どれだけの量の土を掘ったか」で評価を欲しがる人がかなり多くいる。
「努力だけは認めて下さい」
「これだけの時間をかけたんだから評価して下さい」
ということを主張する。
掘り出した土の量や費やした時間が、評価の対象になると思っているのだ。

決して、努力の量は無駄になるというわけではないが、最高の結果に到達するまで考え抜くことが、仕事においてはとても大切なことである。
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上記は、現在勤務しているところの支社長が、営業部長時代に各店の店長宛に送った内容。


MAN vs WILDというディスカバリーチャンネルの番組で、ベア・グリルス氏が過酷な秘境に行き、サバイバル技術を駆使して生還する術を紹介していますが、砂漠で水を得るためにどんなことをしたか。沼地には水があるとはいえ、安全な飲める水ではないからどうしていたか。生命の気配が全くない雪山で、食べるものをどう得ていたか。売上=水の比喩表現に対し、生きるため必要な水そのものという違いはありますが、通じるものがあります。
サバイバルゲーム MAN VS. WILD シーズン1 DVD-BOX / ベア・グリルス (出演)サバイバルゲーム MAN VS. WILD シーズン2 DVD-BOX / ベア・グリルス (出演)サバイバルゲーム MAN VS. WILD シーズン3 DVD-BOX / ベア・グリルス (出演)


話はだいぶ逸れてますが要するに、町田康氏の本が面白い。ふざけて書いてるのか真面目に書いてるのか計りかねるような、読んでて飽きない文章。ひとたび読むと、自分が文を書いてもところどころに似たような表現になってしまったり。
告白 [ 町田康 ]パンク侍、斬られて候 [ 町田康 ]



こんだけ長文書いておきながらですが、背中で語る男っていいですよね。ゆるふわカーブ()のモテカワスリム()にアタイはなるのよ、などと言いながらエビフィレオをバカバカ食ってブタになってる奴とは違うんですよ。
posted by 夜勤 at 21:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月17日

チュッパチャップス、ペペロンチーノでパックンチョ

仕事の昼休憩はやはり昼食を摂る時間なわけで、最近は専ら近くの喫茶店のランチ。値段も手頃だし、コンビニのものよりもよっぽどいい。ただ、仕事仲間と一緒に行くと不快であることを隠し切れずに顔に出てしまっていたようです。

というのも、いわゆるクチャラー。僕を含めて三人か四人で喫茶店に行くが、他がみんなクチャラー。咀嚼するのに口を開けっ放し。口にモノを入れたままペチャクチャと喋ったりしている。不愉快にもなる。

昨夜は食材が尽きていたので久々に近くの吉野家で牛丼を食べたが、カウンター席の隣に座った大学生くらいの客のマナーの悪いこと悪いこと。左手をポケットに突っ込んだまま牛焼肉定食をクッチャクッチャ。不快なので最速で食べ終えて店を出た。



食事をしている姿を見るだけでも、その人の人間性を垣間見ることができる。箸の持ち方だとか、犬食いみたいなことをせずちゃんと茶碗を左手で持っているかだとか色々。それがなってない人を見ると、あぁこの人の親は躾のできない人だったんだな、って思ってしまう。本人のみならず家庭環境が窺い知れる。僕自身は親の躾は、いい具合に親が反面教師になってくれたおかげで恐らく問題ない。親、クチャラーでしたので・・・

この男が女性と付き合うとして、その彼女がこの姿を見たらどう感じるんだろうな、とも思う。まさか女の人でクチャラーなんていないとは思うけれど、このあたりのことがなってない男と付き合う女っていうのも、同レベルの脳みそパープーな女なんでしょう。マナーがちゃんとしている人が付き合う人も、やはりマナーがしっかりしている人が多い、と傍から見てて思う。

マナーという言い方をするとテーブルマナーの話になりがち。どちらかというとナイフとフォークを使う順番がどうだとかいう方面のこと。極論でいけば、パスタが食べにくいなら箸をくれって言ってもいいんじゃないかと思ってる。僕にとってはそれらのテーブルマナーなんていうのは正直どうでもいい。日本人なんだから。いざという時のために覚えておくべきかもしれないが、そのいざという時であるナイフやフォークを何本も使う高級な食事なんて一生のうち数回もないことだし。せめて食べる姿の外面さえしっかりしていればいいと思う。


僕の言う意味では、マナーというよりも作法というのがニュアンスとしては合っている。日本人的な作法。もしくは品性。それの染み付いている人っていうのはどこかカッコイイと思う。男でも女でも。

高校の時からの付き合いで大学でも絡みのあったある友人の例。彼は食事をするときに必ず手を合わせて「いただきます」と「ごちそうさま」を言う。二人でどこか外に食べに行った時、周囲の目も気にせずにする。人によっては恥ずかしいからやめろと言うかもしれないが、これを無意識にするというのが凄くかっこ良く見えることもある。



本来、生理的な衝動を満たす行為を周囲に見られるのは恥ずかしいと感じるものなんでしょう。露出という禁忌を犯して快楽を得る性癖は特殊だから除外するとして、性欲を満たしているその最中を見られるのは恥ずかしい。睡眠欲を満たしている最中、つまり寝顔を見られるのは恥ずかしい。無防備であり、見映えをよくすることができない。

同様に、食欲を満たす行為を見られるのは恥ずかしいものであって然るべき。食べてる姿をじっと見られたら恥ずかしくて食べていられないわけで。その恥ずかしい行為を少しでも恥ずかしくなくすようにマナーや作法なんてものがあったりするんでしょう。

居酒屋は騒ぐ場所。もちろん他の客の迷惑にならない範囲内で。この酒の席で食べながら喋るなとかマナーがどうだとか言ってたら酒も不味くなる。だから居酒屋は嫌いだったりする。大学時代にパチンコ屋でバイトしてたり高校の時にゲーセンに入り浸ったりしておいて言うのもアレだが、元々騒がしい所は好きじゃない。呑むんだったらバーとかで静かに呑みたい。酒は全然呑めないですが。



食べることに限定せずにいくと、僕自身も直さなければならないことの心当たりがありすぎる。例えば言葉遣い。「おいしい」は「ウマイ」、「食べる」は「食う」、「食事」は「メシ」としか言わなかったりする。このあたりのことは、やはり気になる人もいるかと思う。これも女性がこんなこと言ってたら論外でしょう。直さなきゃ、とは思っていても常に意識し続けるのができない。気を抜くとまた乱暴な口調になってたりする。染み付いたものだから直すのに苦労する。でも、それを指摘されて「もう染み付いちゃってるから今更直らないよ」って開き直るのは大間違い。

当たり前のことを当たり前にする。作法やマナーだったり、一つ一つの仕草だったり、心構えだったり。誰もがその辺をちゃんと理解し、弁えているなら、分煙だとか電車のシルバーシートだとかも本当はいらないはずなわけです。


日本人的な作法というのは、言わば見映え。というか見栄。内面がどうであろうとも、とりあえず外面を取り繕う。周囲に与える印象だけはよく見せようとする。実際、それができている人は確かに印象がいい。それが例え裏では腹黒いゲスであっても。

その見栄の張り方が変な方向に向いている人もいるわけで。身の程を弁えていない、分不相応なブランド品の類。財布を見るとプラダとかグッチとかヴィトンとか。ましてや高校生にそんなブランド品なんて見せびらかされたところで・・・



深夜のコンビニにちょっとタバコ買いに入っただけで「いらっしゃいませええええ!」とかデカい声出されても辛い。吉野家みたいな安い食事の所に入ってホテルマンみたいな最上級の礼とかされたりしても気味が悪い。その店に相応しくない過剰接客する店も若干敬遠したい。


仕事仲間に20歳そこそこの女の子がいるが、クシャミがオッサン臭い。デカイ口を開けて「ふぇっくしょん!!」とか言う。品が無いったらありゃしない。一気に萎える。
posted by 夜勤 at 04:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月06日

「ももみたいなおしり」

ほんのりと風邪気味です。


こういうときは桃缶が食べたくなります。シロップ漬けにされた桃がこれまた美味い。



ファミコンゲームのキャプテン翼2に表題の「ももみたいなおしり」というパスワードがありました。確かイラン戦あたりから始まるんだったか。「べじいた」っていうパスワードとかもありました。みんなレベルが高い状態なのに、日向君だけレベルが異様に低い状態。ネオタイガーショットが「てきの8ばん」みたいに名前もない雑魚の敵にあっさりブロックされてしまう。






古代より、桃は邪気を祓う神聖な果物であるとされてきた。


古事記において、火の神カグヅチを生んだ時に陰部を焼かれて死んだイザナミに会うために黄泉の国へと赴いたイザナギの話では、黄泉の国から逃げ帰る際に投げつけた三つのものの中に桃子(もものみ)があった。ちなみに残りの二つは黒御縵(くろみかずら)と湯津津間櫛(ゆつつまぐし)。これによって亡者である黄泉醜女(よもつしこめ)を追い払ったとされています。神話において邪悪なものから逃れるために三つの物を投げつけてそれを追い払うというのはよくある話。いわゆる「呪的逃走」といわれるもの。大抵は「石」「櫛」「水」に分類されるが、この古事記の場合は石がカツラ、水が桃に置き換えられたものでしょう。それぞれが逃走者の身代わりになったり、追っ手に対する障害物に変化する。日本以外にも、ギリシャ神話のオルフェウスとエウリディケのように呪的逃走の話は数多く存在します。


古事記がどうだとかいう内容を書いたところでピンとこないかもしれませんが、一番分かりやすいのは桃太郎。桃が悪を祓う典型的な例。ちなみにお供の犬と猿と雉というのも陰陽五行説では桃と同じ西の方角を表す金気の干支の戌、申、酉という形で一致しているらしいです。詳しくは知りませんが。




いや、まったく。昔話とか神話って面白いものです。つまりは、

邪気を祓う→聖なるもの→生を司る→性器→マンゴスチン系のサムシング


みたいな聖なるものっていうか性なるものという解釈はいくらでもできるわけです。何も考えなくても形が既にケツみたいなものなんだから。なんだったらアワビも性の象徴にしてしまえばいいのにな。ケツに入れても子供はできないよ。




風邪で寝込んでるときに女の子が横に座って、オデコに手のひらをピトッてしたり手をキュッと握ってきたりしたら多分惚れますねーっていう妄想でしかないことを呟いたところで、付き合ってもいない女が看病なんかするわけもありません。
posted by 夜勤 at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする